Column 成定竜一の”バス事業者マネジメント論“ 第1回 「コメの文化」とバス事業
筆者 成定 竜一 氏
高速バスマーケティング研究所代表。
1972年生まれ。早稲田大学商学部卒。ロイヤルホテル、楽天バスサービス取締役などを経て、2011年に高速バスマーケティング研究所設立。バス事業者や関連サービスへのアドバイザリー業務に注力する。国交省バス事業のあり方検討会委員など歴任。
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「コメの文化」とバス事業
<日本だけが「公共交通=民間」の謎>
「公設民営」「上下分離」―――乗合バスを含む地域公共交通の分野で、官民の役割分担のあり方について議論が進む。
わが国では、旧・国鉄や地下鉄などを除き、地域交通は民間事業者に任されてきた。諸先進国では自治体など公的セクターが経営することが多いのとは対照的だ。それには二つの背景がある。
一つ目は、阪急電鉄の創業者、小林一三が作り上げた「日本型私鉄経営モデル」だ。
田畑広がる郊外に敷設した鉄道を軸とし、住宅開発で沿線人口を増やす。駅前百貨店や終点駅周辺の観光開発(宝塚温泉、歌劇)といった付帯事業を兼営し、沿線価値を高めることでさらに人口を集め運賃収入を伸ばすとともに、土地の値上がり益も得る。全国の鉄道、バス事業者らはこれを真似て「ミニ阪急」を構築した。
都市部では、大手私鉄や系列バス事業者がエリアを住み分けた。地方部では、個人事業から始まった零細事業者が徐々に統合され、戦時統合によって各生活圏におおむね1社の体制となった。そのスキームは戦後もそのまま維持された。道路運送法(1951年公布)により、公共性を名目に地域独占的に事業免許を与えられたのだ。
その結果、各社は民間企業ではあっても目先の競争は少なく、むしろ「揺りかごから墓場まで」の生活関連サービスを地域に提供する「地元の名士企業」となっていった。
<アジアモンスーンが生んだ「奇跡の市場」>
もう一つの背景が、稲作を基層とする社会だ。
「実るほどコウベを垂れる稲穂かな」ということわざがあるほど、イネは実ると重たい。1株のイネに、米は多く実るのだ。片や、缶ビールに描かれたムギは、黄金色に実っても直立している。稲作地帯は、麦作地帯と比べて、狭い土地から多くの収量を得て多数の人口を維持できる。イネが育つには高い気温と多くの水が必要で、夏場に高温で湿ったアジアモンスーン(季節風)が吹く東南アジアや中国南部、朝鮮半島南部と日本列島は、神様のお眼鏡に叶い子だくさんの土地となった。
しかし神様は公平だ。確かに稲作は収量が多い。だが稲作に必要な水田を造成して維持するには、相当な労働力が必要だ。だから、アジアモンスーン地域は、子だくさんで大家族を構成し、一家総出で農業を営む社会となった。
山がちの国土のわずかな平地に、身を寄せ合って多くの人が住む社会。この狭い日本の人口が世界11位と聞けば、どれほど人口密度の大きい社会かよくわかる。さらには明治以降の近代化により約150年間で人口は約4倍に増加。戦後は、それまで実家に住み農業にたずさわっていた人たちが、進学、就職するようになった。
人口密度と人口集積の大きさは、公共交通の事業効率に直結する。もともと人口密度が大きく公共交通に効率がいい上に、明治の近代化、戦後の高度成長を経て通勤通学需要が急増した日本。この国は、公共交通が奇跡的に「ビジネスとして成立してしまった」社会なのだ。
<小林一三の末裔たちへ>
それが、自家用車普及や人口減少、さらにリモートワーク定着で「奇跡の市場」を失い、地元の名士企業ゆえの各種特権や土地の値上がり神話など付帯事業の「昭和」の好条件も削げ落ちた。社風は保守化し、縮小均衡を繰り返した。
もっとも、恵まれ過ぎた「昭和」の総決算を30年も先延ばししてきた、と見るならば、この国の象徴のような話だ。あの頃に見た甘い夢の続編がいつか始まらないかと淡い期待に引きずられ、寝たふりを続ける余裕は、もうない。
考えれば、鉄道という「線」の周囲に人口を集め周辺事業を収益化する「日本型私鉄経営モデル」とは、今日でいえば、インターネットという「線」を軸とし、その周囲に自らの経済圏を構築するITベンチャーそのものではないか。小林一三は、実はスティーブ・ジョブズや孫正義、三木谷浩史らの先達だったのだ。
残念ながら、今日のバス事業にIT企業のような勢いは期待できない。だが、いや、だからこそ、小林一三の挑戦者精神をもう一度取り戻す以外に、苦境を突破する術はない。